立命館大学と理工学部

近代日本の代表的な政治家で,第12・14代内閣総理大臣を務め,最後の元老と呼ばれた西園寺公望が1869(明治2)年に京都御所の邸内に開いた私塾「立命館」.立命館大学の名前の起源はここにあります.

文部省の官僚として西園寺とともに京都帝国大学(京都大学)の創立に携わり,西園寺内閣では総理大臣秘書官を務めた,元貴族院議員中川小十郎が,1900年に設立した京都法政学校.立命館大学の学園としての起源はここにあります.なお,中川小十郎は,夏目漱石「落第」の中にも登場しています.

1913年,京都法政学校は,立命館の名を受け継ぎ私立立命館大学となります.この後,旧制の立命館大学(1922年)を経て,現在の立命館大学(1948年)へと至っています.

1914年には,理工学部の起源である私立電気工学講習所が設置されます.この後,1938年に立命館高等工科学校が開設され,1939年に立命館日満高等工科学校に改組されます.

1942年,立命館日満高等工科学校が専門学部工学科に昇格し,1949年に現在の理工学部が設置されました.

》》》 立命館大学の詳しい歴史と理念はこちらのページをご覧ください.

情報工学科・情報学科・情報理工学部・情報システム学科


衣笠キャンパス 4号館
以上のような歴史を持つ立命館大学理工学部に情報工学科が設置されたのは1987年4月です.関西の私立大学では最も歴史があり,2006年度に20周年を迎えました.情報工学科は,計算機ソフトウェア,計算機ハードウェア,計測・制御・システムをキーワードとしたカリキュラムが組まれていました.当初の入学定員は80名でした.1988年3月には衣笠キャンパスに情報工学科などのための建物として4号館が竣工します.この4号館は,現在,政策科学部の洋洋館として使用されています.この情報工学科こそが,情報システム学科の起源です.
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BKC ウェストウィング
次に大きな転機が現れたのは1994年で,この年4月,理工学部が衣笠キャンパスから今のびわこ・くさつキャンパスへ拡充移転しました.同時に,情報工学科は,名称を情報学科に変更し,そのカリキュラムを計算機ソフトウェアと計算機ハードウェアを中心としたものに変更しました.また,入学定員を260名としました.さらに,2002年4月には,情報理工学部の設置を視野に入れ,入学定員を460名へと増員しています.
情報工学科と情報学科では,合わせて約3,500名の卒業生を輩出しました.
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BKC クリエーションコア
2004年4月,情報理工学部が設置され,情報工学科と情報学科の流れを強く受け継ぐ情報システム学科,情報コミュニケーション学科,メディア情報学科,知能情報学科と,応用化学系の流れを受け継ぐ生命情報学科の5学科体制となりました1).定員も600名になっています.また,この年,情報理工学部の建物としてクリエーションコアが竣工しています.
情報システム学科は,情報分野の中でも,特に情報機器学,コンピュータ工学,コンピュータ科学,ソフトウェア設計工学と呼ばれる分野2)を中心に教育・研究を展開しているところに特徴があります.

そして2006年度

理工学部情報工学科が設立されてから20周年を迎ました!

1) 現在は,生命情報学科は生命科学部へ移籍しました.関連して,情報理工学部の入学定員も変更となっています.2009年度の入学定員は学部全体で440名です.
学科の歴史.txt · 最終更新: 2009/10/29 11:37 by mouri
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